他人と競争したら負けな世界

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就職氷河期世代に生まれた自分は、つねに競争と隣り合わせだった。他人よりも頑張って勉強しないといい学校に入れないし、会社に就職できない。そしていったん人生のレールから外れると生活すら困難になってしまう。だから同世代はみんなライバルで、蹴落とさないと生きていけないサバイバルだと教えられていた。

だが、就職氷河期の時代は終わり、これまでよりも競争する必要がなくなった。現在の世界は、むしろ他者と競争したら負けな世界なのではないかと感じている。その理由は2つある。

一つは、インターネットやSNSの普及により、我々が受け取れる情報量はインターネット以前に比べてはるかに多くなったことだ。あらゆるところから洪水のように情報が流れてくる。欲しい情報が容易に手に入れられるようになった一方で、見たくないような情報も容赦なく突きつけられる。

見たくない情報というのは、犯罪や事件、災害のようなものだけではない。自分より優れた成果を出す人、世界で活躍する人、働かずに楽をして生きている人。彼ら (彼女ら) はすばらしい人という情報として伝えられるが、時にそれらはマイナスに作用する。自分が羨ましいと思う人の情報は、自分を卑下してしまう要因となり、浴び続けるとメンタルに不調をきたすだろう。

インターネットがない時代は、自分よりも優れた人を見ることが今よりも少なかった。せいぜい自分の周りか、テレビやラジオなどの限られたメディアのみだったからだ。それら以外にも自分よりすごい人はたくさんいたのだが、可視化されることがなかった。

インターネットが当たり前になった時代においては、情報をできるだけシャットアウトし、自分の周りの情報のみ受け取るべきだ。そして、他人と戦ってはいけない。戦う相手は世界のすごい人ではなく、自分自身だ。自分のライバルは昨日の自分だけだ。過去の自分よりも今の自分が優れていればそれでいい。

二つ目は生き方の多様性だ。昔のような、いい会社に入って出世してとか、結婚して子供を産んで立派に育て上げて、みたいなものだけが成功ではなくなった。仕事はそこそこでもプライベートが充実していたり、副業で稼いだりといったこともあり得るし、新しい仕事を生み出すことも可能だ。そういったこれまでにない生き方をしても咎められることがない時代になった。昔は、結婚していないと出世に響いたり、他人から変な目で見られたりすることがあったが、今は逆に結婚していない人が多いぐらいだ。他人を気にせず、好きに生きることが可能になった。

誰かを蹴落として自分が生き残る時代は、平成で終わったのではないか。自分の居場所は自分で作ればいい。コツコツ勉強して得た能力を使って、新しい場所を作るのだ。他人が作った道を誰かと奪い合う必要はない。他人のことなど気にせず、インターネットと英語を身につけ、好きなことにコツコツと打ち込む。これがこれからの生き方ではないだろうか。

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pupepa

COBOL Engineer

Objective-Cが書けるiOSエンジニアを一時休業してWebアプリケーションエンジニアに。

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